…行き着いた先は! (前回の続き)
イイネ!
ゾクゾク来る、とても良い雰囲気だ。
手前の浜から直に起ち上がる高い石垣は、まるで青い鱗のようだ。
対して向こう側の路肩は荒磯そのままの岩棚で、両者の対比は目に鮮やか。
しかもその岩棚は、石垣にも通じる独特の青みがかった風合いを見せており、美しい。
宇久須は長らく日本最大の珪石の産地であったが、この岩場の色も関係しているのだろうか。
しかも、萌えのポイントはそれだけではない!
よく見ると…
橋が橋でなくなっている!
ここには当初、2径間のコンクリート橋が架かっていたのだろう。
だが、国道としての強度不足が懸念されたのか、或いは老朽化の不安のためか、
とにかく橋下の空間を全てコンクリートなどで充填するという、かなりの力業に出ている。
橋にとっては屈辱的な仕打ちだが、そのお陰でこの橋は、廃止になるまで、
すなわち昭和55年まで、荒磯の波飛沫を浴びながら国道たり得たのである。
マジでカッコイイぜ!
…にしても、浜に下りてきて大正解だったな。
そのまま旧道を歩いていたら、100%気付かなかった。
ということで、今度こそ満を持して旧道へ。
この旧道は、キャンプ場によって他の道路から分断された、完全な廃道である。
とはいえまだ舗装が効いているので、自転車で走る分には不自由を感じない。
深田浜を振り返ってみる。
冷たい雨の中、浜には全く人影が見えない。
今日だけ私のプライベートビーチである。
先ほど浜から見上げた岬の突端部分までやってきた。
なんとも凄まじい法面である。
ほとんど垂直に近い法面が、30mくらいも迫り上がっている。
そして、その全体にコンクリートが吹き付けられている。
小石が落ちて来やしないかと、首が自然と上を向く。
…という感じに、この場所での意識は普通上に行く。
だが、私は知っている。
この足元の道が、かつては橋であったこと。
(路肩の欄干は、敢えて橋ではない区間と同じものが使われており、それがカモフラージュになっている)
岩場を削るだけでは不足で、さらに橋まで架けて通り抜けてムリヤリ回り込んでいた岬。
たかだか200m強のトンネル1本で理想的な現道が出来た事を思うと、なんだか複雑な気分。
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“道路”の時間は以上で終わり。
こっからは、“SF” の時間だ。
とうとう来たぜ、“アレ” が目の前に。
でっけぇ!!
西伊豆海岸で最も広いと言われる宇久須の砂浜(海水浴場もある)から、
尋常ではない存在感を持った“何か”が、海上遙か沖まで延びている!!
その行き先、もちろん見たいよね?
戦ったら滅茶苦茶強そうだ!
今にも海上に向けてミサイルを発射しつつ、海面に大量の爆弾を落しそうだ。
巨大施設の上に人影はなく、機械が動作しているような音も聞こえてこない。
今日が休日だからなのか、使われていない施設なのか、このときの私には判断出来なかった。
というか、そもそもこれが何の施設なのかが分からない。
考えてみると、これだけ公然と目立っているにもかかわらず、
全く正体に関する“文字情報”が見あたらないのは、少々奇妙で不気味でもある。
見えているのに実体が分からない、海上にあるもの。
…極度に重量感のある「 蜃気楼 」だ。
やってきました、“反対側”。
案の定、こちら側も有刺鉄線付の鉄柵で厳重に封鎖されていた。
そして、やっぱりこの施設がなんであるかのヒントは無い。ノーヒント。
この巨大施設が無かったとしても、旧道は廃止になっていたとは思う。
しかし、このために宇久須側から侵入する事は出来なくなっている。
だからといって困る人はいないが、人に尽くした末路としては哀れである。
ミニレポだから
「欄干の色がなぜ濃い青色なのか」という“謎”をスルーするのに躊躇いはない。
しかし、
流石にこの施設がなんなのかをスルーしたら、皆さんが今夜のカレーライスを美味しく食べられないかも知れない。
なので、
現地では本気で最後まで分からなかったが、WEBでの「宇久須」「巨大」「桟橋」などの複合キーワード検索で判明した正体を明かそう。
はい。
この施設の正体は、
スペースシャトル発射場。
ではもちろんなくて、砂利専用の積み出し施設だそうだ。
陸から伸びている部分はベルトコンベアーで、先端の“爆弾を落しそう”な部分から、砂利運搬船に砂利を落す(積み込み)をする施設だそうだ。
なんでも、京浜地方での砂利採取が各種規制で難しくなったために、少し前まで珪石を採掘していた宇久須などに、砂利供給地として白羽の矢が立っている事情があるらしい。
そして更に驚くことに、これだけの巨大施設が、仮設のものであるらしい。
平成16年8月頃に完成し、翌17年12月頃から稼働を開始。
平成21年頃に稼動が終了した(私の探索した当時はまだ現役施設だったことになる)後もしばらく放置されていたが、
平成23年内に撤去された そうである。
で、この施設が運び出していた砂利がどこへ行ったかというと、それも調べが付いている。
東京国際空港(羽田空港)に新設された「D滑走路」(平成19年3月着工、22年10月供用開始、全長3120m)の埋め立てに使われたのだ。
以上の情報源: 伊豆ネイチャーガイドの独り言、東京空港整備事務所(このPDFの一番下に施設の風景あり) ほか
“SF的風景”のFはフィクションではなくファクト(事実)であったわけで、景観を含めた環境破壊など、地元ではかなり批判の多い施設だったようだ。
海路、空路、陸路(道路)の全てが、概念的であれこの小さな旧道に収斂した事を思うと、少しだけ感慨深い。
私としても、先人の労力が結晶した“小さな廃道”が再び自由になった姿を、また確かめに行ってみたい。
そして今度こそ、完抜を果たしたいものである。
【完結】