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<title>ORJレポート　旧伊東街道　柏峠　導入編
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<div class=title><h1>旧伊東街道　柏峠　<span style="font-size:16px"></span>　[導入編]　</h1><div class=date>所在地　静岡県伊東市〜伊豆市<br>公開日　2008. 3.26<br>探索日　2007. 7.26</div></div>
<div style="margin:10px">
<br>
<h2>苦難の廃道行と　執念の隧道捜索　</h2>

<div class=story>
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'">◆◇　伊豆半島の明治隧道たち　◇◆</h4>
<p style="margin:0px 20px">　伊豆半島で古い隧道と言えば、なんといっても天城山隧道が有名だろう。<br>
明治38年に下田街道の最高所、旧天城湯ヶ島町（伊豆市）と河津町の間を隔てる天城峠に開通した全長445ｍあまりの総石造りの隧道は、平成13年に道路隧道としては全国で初めて国の重要文化財に指定された。<br>
この端正な隧道は古くから多くの文化人に愛され、川端康成の『伊豆の踊り子』の舞台として特によく知られている。<br>
<br>
　しかし、伊豆にはこれよりも古い道路隧道が何本か存在している。<br>
明治29年に旧伊豆長岡町（伊豆の国市）と沼津市を隔てる丘陵地に掘られた全長170ｍの三津坂（みとさか）隧道はその一つである。<br>
文豪・井上靖が『しろばんば』などに登場させたこの明治隧道は、最近まで泥と藪の奥に埋もれていたが、地元のＮＰＯが観光資源として目を付け"第二の天城山隧道"として整備しつつある。<br>
<br>
　だが、それより遙かに古く作られた隧道が、ほとんど知られぬままに眠っている。<br>
旧中伊豆町（伊豆市）と伊東市とを隔てる柏峠。<br>
そこにかつてあった柏隧道は、明治15年の竣工とされているのだ。 
</p>
<br>
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'">◆◇　隧道建設の背景　◇◆</h4>
<p style="margin:0px 20px">　
　今日の半島の道路地図を元に考えれば、伊豆半島を縦貫する下田街道の要所として後に国道指定も受けた天城山隧道と、それより23年も早く開通していた柏隧道を比較して、後者がより重要な路線であったようには見えない。<br>
<br>
　今日の伊豆半島における幹線道路網は、海岸沿に半島を周回する国道135号および139号、そして南北に縦貫する414号が中心となっているのであって、柏峠の後を継いだ冷水（ひえかわ）峠も主要地方道に指定はされているものの、余り改良の進んでいない自然度の高い県道として知られているぐらいだ。 <br>
<br>
　この地に半島でいち早く隧道が建設された経緯を理解するためには、明治以前からの地域産業と、その運搬路を理解する必要がある。 </p>
<br>
<img alt="" class=photo src="map_0.gif" align=right>
<p style="margin:0px 20px">　柏峠は旧中伊豆町冷川と伊東市を結ぶ峠であるが、歴史的に中伊豆町一帯は大見郷と呼ばれて来た。<br>
天城山脈の懐に抱かれた山深い大見郷の産業は山稼ぎに依存しており、その主な産物としては木炭・山ワサビ・椎茸・材木などがあげられる。特に天城山では良質の木炭が焼かれ、幕府御用炭の産地として知られていた。 <br>
<br>
　江戸時代から明治初期にかけて、これらの産品および内陸で生産された年貢米や石材等の江戸（東京）回送における中心的ルートとなったのが、宇佐美峠（冷川〜宇佐美）や鹿路庭（ろくろば）峠（冷川〜池）、そして柏峠（冷川〜伊東）である。<br>
これらの峠を利用して一旦東岸沿いの各港へ運び出し、それから先は海路によっていた。<br>
<br>
　天保7年（1836）に書かれた『熱海村外十二箇村願書』のなかには、<span style="font:bold 15px/20px 'ＭＳ Ｐ明朝';letter-spacing:1px">「当村地内者、当国御林天城山之御用炭津出シ之路次ニ而、冷川村迄山中二利余極難之峠壱里余、人馬通路之道普請年々三度ツヽ」</span>とあり、これは柏峠が年に三度も村人総出の道普請を行わねばならないほど重要な通路であった事を示している。<br>
<br>
　当時、険しい海蝕崖が続く海岸通りの宇佐美と熱海の間には不通があって（開通は大正14年…この旧道のレポートは<a href="../../road/r135_ajiro/main.html">こちら</a>）、伊東一帯は関東から見た半島内陸部への上陸地であり、柏峠などの峠が玄関口となっていたのだ。<br>
<br>
　以上のような背景により、柏峠に半島第一の隧道が掘られた事は、決して突飛ではなかったのだと考えられる。 
</p>
<br>

<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'">◆◇　南遷を続けた峠の歴史 　◇◆</h4>

<img alt="" class=photo src="map_2.jpg" >
<br>
<br>
<p style="margin:0px 20px">
　柏峠（海抜450ｍ）の最も古い道は中世から利用されて来たと考えられており、上記昭和34年の地形図にも点線で記載されている。<br>
この道は馬も通ったが勾配が険しく、"極難の峠"とされたのは前述の通りで、<strong>明治15年に冷川と伊東の有力者が相諮って峠の南の鞍部を貫く全長67ｍの隧道（海抜430ｍ）を完成</strong>させると共に、取り付きの道も馬車が通れるように改修した。（上の地図では、一本線の車道で描かれている）<br>
今回踏破する道も、この明治15年開通の“明治新道”である。<br>
新道開通によって往来は非常に便利となり、当時徐々に増え始めた一般の旅行者も数多く通って天城・修善寺方面に遊んだという。<br>
<br>
　次いで、修善寺方面から伊東を目指し東延を続けてきた伊東街道（県道「伊東大仁線」）が、峠の麓の冷川まで開通したのは明治31年で、そこから先伊東までの山道は柏峠を避け、より南側の冷川峠（海抜350ｍ）を新たに切り開いて通すこととなった。<br>
明治39年に伊東街道は全線開通し、<strong>柏峠は開通からわずか24年、明治のうちに早くも旧道となった。</strong><br>
<br>
　伊東街道は峠の高さこそ旧道より下がったが、距離はかなり伸びた（後述）。<br>
実際に当時、冷川から伊東へ行くには新道を馬車で行くよりも、柏隧道を歩いた方が早く着いたという。<br>
旧道となった柏隧道だが、一時地震の被害を受けて通行できなくなったりしたものの、その都度復旧され“歩きの近道”として利用されていたという。<br>
しかし昭和33年、半島全域に甚大な豪雨災害をもたらした狩野川台風が伊東側の坑口を破壊してしまう。<br>
それ以降は、復旧されることなく今日に至る。<br> 
</p>
<br>
<p style="margin:0px 20px">　
　なお、伊東街道（冷川峠）のその後も簡単に紹介する。<br>
県道伊東大仁線から主要地方道「伊東修善寺線」になった道は、狭隘屈曲を残したまま県内唯一の「国際観光路線」に指定されたりしたものの、通行量の増大に絶えかねて、近年ではかなり南寄りに新道である「中伊豆バイパス（有料道路）」を開通させている。<br>
このバイパスも今年（2008年）7月には無料開放を予定しており、柏隧道はますます人遠い場所になりそうだ。</p> 
<br>
<img alt="" class=photo src="map_1.gif" align=right>

<p style="margin:0px 20px">　
名前を途中で変えながら、三度も南へ遷った冷川と伊東を結ぶ峠道。代替わりする度に距離が増えていくという、奇妙な変遷を遂げている。

<br>
<br>
<table>
<tr><th colspan=2>冷川〜伊東の距離
<tr><td>柏峠<td>  8ｋｍ
<tr><td>柏隧道<td>8.5ｋｍ 
<tr><td>冷水峠<td>11ｋｍ
<tr><td>中伊豆ＢＰ<td>13ｋｍ 

</table>
</p>
<br clear=all>
<br>
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'">◆◇　探索計画　◇◆</h4>

<p style="margin:0px 20px">　
　各種資料（伊東市史、中伊豆町史、ネット情報など）を用いた事前調査によって柏隧道の歴史については大体分かったが、狩野川台風によって埋没した伊東側坑口は行方不明ということであり、伊東市街から坑口までの旧道も現状が不明であった。<br>
現行の二万五千分の一地形図には、寺田川右岸に沿って旧道らしい点線の道はあるが、それも隧道付近で途絶えており、もちろん隧道も描かれていない。<br>
肝心の柏隧道についても、冷川側から坑口まで行けるという事だったが、内部の状況について詳しい状況は分からなかった。<br>
<br>
　よって、今回の踏査計画における目的は次の２点となる。<br>
</p>
<ul style="margin-left:50px">
<li style="font:bold 20px/30px 'ＭＳ Ｐゴシック';">柏隧道を含めた旧伊東街道の全線踏破
<li style="font:bold 20px/30px 'ＭＳ Ｐゴシック';">柏隧道の内部状況確認</ul>
<p style="margin:0px 20px">
　具体的な計画としては、探索開始地点は伊東市猪戸一丁目にある小川橋とした。<br>
資料不足のため伊東市街地における街道の起点が分からなかったが、とりあえず旧地形図にも描かれている橋ということと、「中伊豆町史」に経由地として記載のある猪戸地内ということで決定した。<br>
また探索終了地点は冷川ではなく、現県道から旧道が分かれる沢内バス停付近とした。<br>
<br>
　想定される距離は、「小川橋」⇒「柏隧道（4．5ｋｍ）」⇒「沢内分岐（0．7ｋｍ）」、合計5．2ｋｍほどである。<br>
このうち、小川橋から柏隧道まではかなりの荒廃も予想されるので、本来は冬期間の藪が落ち着いた時期を選びたかったが、“気になったときが行き時”だというオブローダーの原則に則り、<strong>2007年7月26日、真夏の単独行となった。</strong> 

</p>

</div>
<br>

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</div>

<h3>伊東市街で道探し</h3>

<div class=honbun>
<br>
<div style="margin:0px 6%">
<img alt="" class=photo src="kasiwa_1.jpg" align=right >
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'"><a href="map_3.gif" target=another>【Ａ地点】</a>　小川橋　9:48</h4>
<p>　駐車場に車を止め相棒のチャリを下ろした私は、柏隧道探索へのスタート地点と決めた小川橋を街中から探し出した。<br>
<br>
　それは、周囲の落ち着いた街並みからは明らかに浮いた、欄干がゼリービーンズの工作のようなどぎつい橋だった。<br>
銘板を見ると確かに小川橋と書いてあるが、竣工年はごく最近だ。<br>
しかしともかく古い地図にも描かれている橋で、旧伊東街道はここから山へと入っていったはずである。<br>
橋の下を流れる寺田川の源流に、柏峠はある。</p>
<br clear=all>
<br><br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_3.jpg" align=left>
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'"><a href="map_3.gif" target=another>【Ｂ地点】</a>　サニークレスト　9:51</h4>
<p>　小川橋を渡ってから寺田川に沿って進んでいくと、すぐに伊豆急行の踏切を渡る。<br>
この辺りから両側に緑の山が押し迫ってくるが、それでも道の両側には多くの民家が並んでいる。<br>
再び小川橋という同名の橋を渡って進んでいくと、目の前に巨大なマンションが何棟も固まって現れた。<br>
<br>
　道はこの、「サニークレスト」というマンションの正面玄関前を通っている。<br>
なお、このあたりの住居表示は「伊東市岡字登り立」という。<br>
地名の由来は分からないが、いかにも歴史ある峠下集落らしいものだ。 
</p>

<br clear=all>
<br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_6.jpg" align=right >
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'"><a href="map_3.gif" target=another>【Ｃ地点】</a>　大平橋　9:54</h4>
<p>　遂に川沿いの道から民家が消えた。<br>
小さな砂防ダムを見下ろしながらなお登っていくと、また寺田川を渡る。<br>
かなり古びた橋の名は大平（おおだいら）橋。<br>
昭和36年の竣工の銘板が残っていた。柏隧道が閉塞した3年後である。<br>
また、近くには一帯の地図を付した「砂防指定地」の看板があって、それによればこの道は「林道大平線」というらしい。<br>
手持ちの地図で沢沿いの車道として描かれている道がそれである。柏隧道への道とは、今のところ重なっている。<br>
<br>
　大平橋を渡ると、道はいきなり急勾配の九十九折りになる。
</p>
<br clear=all>
<br>
<br>


<img alt="" class=photo src="kasiwa_7.jpg" align=left>
<h4 style="font:bold 18px/36px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'"><a href="map_3.gif" target=another>【Ｄ地点】</a>　大平林道と分岐　9:59</h4>
<p>　急坂を登っていくと、直進する道と左後方へ折れる道が分かれる。<br>
直進が大平林道で、左折は「日本ユニシス・エグゼクティブセンター」へ向かう、これはおそらく私道である。<br>
古地形図が教える進路は左折なのだが、ここから先は滅多にお目にかかれないほどの猛烈な急坂になっている。<br>
記録では馬車も通ったというが、馬車は自動車よりも勾配に耐え難く、10％を越える勾配では輓馬が疲れてしまって長く登れなかったとされている。</p>
<br clear=all>
<br>
<img alt="" class=photo src="kasiwa_8.jpg" align=right>
<p>　ローギアに切り替えて登りはじめると、途端にチェーンが金切り声の悲鳴を上げた。<br>
路幅をいっぱいにつかって、"セルフいろは坂"を描きつつ登る。<br>
ムキになってサドルにしがみついていると、あっという間に汗で視界が滲む。この日の空は曇っていたが非常に蒸し暑く、おそらく30℃は下らない。最初の試練であった。


</p>
<br clear=all>
<br>
<br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_9.jpg" align=left>
<h4 style="font:bold 18px/20px 'ＭＳ Ｐ明朝';color:#662222;font-style:italic'"><a href="map_3.gif" target=another>【Ｅ地点】</a>　日本ユニシス・エグゼクティブセンター　10:06</h4>
<p >　必死に登ること7分あまり、ようやく大きな白い建物と広い駐車場に辿り着いた。<br>
大平橋の標高が約90ｍ、ここは既に160ｍ。両者を結ぶ道路長は約350ｍ。これらから導き出される勾配は……20パーセント！<br>
…きついわけである。<br>
<br>
　駐車場に多くの車があるわりに社屋は静まり返っていて、さながらホワイトカラーたちの城だ。<br>
オブローディングという非生産的行為に没頭する私の姿は場違いも甚だしい。<br>
誰何の声を受ける前に、さっさと駐車場の"奥"へ身を隠そう。

<br clear=all>
<br>
<br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_10.jpg" align=right>
<p>　"奥"には、会社の貯水槽らしい施設があって、土道が裏手へさらに続いていた。<br>
別に立入禁止などにはなっていないが、クルマが入っている感じはしない。<br>
<br>
　<strong>どうやら、ターゲットの尻尾を捉えたらしいぞ！</strong>
</p>


<br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_11.jpg" align=left><br clear=right>
<br>

<p>　まずは一安心。<br>
ここまで古道らしからぬアスファルトの道ばっかりだったので、ちょっと心配だったのだ。本当に道はこれで良いのかと。<br>
だが、土道が現れたとなれば、明治の古道という期待は大いに持てる。<br>
<br>
　改めて持参の地形図を確かめると、ここから柏隧道までは推定で2.8ｋｍ。<br>
この、2．8ｋｍという距離をどう見るか。<br>
<br>
　道路状況次第なのは言うまでもないが、いきなり未舗装の、しかも土道から始まったというのは決して楽では無さそうだ。<br>
チャリは、もうすぐに足手まといになるかも…。
</p>

<br clear=all>
<br>
<br>

<img alt="" class=photo src="kasiwa_12.jpg" align=right>

<p>　土道は自動車の通れる堅さではないが、単なる歩きの道と考えるには路幅が広く、勾配も計算されたように一定である。<br>
馬車道というのがしっくり来る。</p>
<p>　はじまりの陰鬱な竹藪を出ると、夏藪の奔流が急に迫ってきた。<br>
一応はまだ踏み跡があるけれど、今にも途絶えてしまいそうな頼りのない道。</p>
<br clear=all>
<br>
<br>






<img alt="" class=photo src="kasiwa_14.jpg" align=left>
<p>　土道になって僅か１００メートル。<br>
ここで、<strong>道を塞ぐ倒木の連続攻撃が発生！<br>
呆気なく道は途絶。</strong><br>
<br>
　いきなりの、暗雲垂れ込める展開。<br>
これからは人跡稀な廃道を行けるというような興奮よりも、うざったい夏の藪と、うだる気温の高さ、ダラダラと長そうな峠までの道のり、それらが複合した"うんざり感"が勝った。<br>
<br>
　しかもこの山、立ち止まっているとヤブカがもの凄く多い。<br>
…精神的にも、かなりハードな道になりそうだった。<br>
</p>

<br clear=all>
<br>
<br>



</div>
</div>

<div class=story>
<p align="center" class="next_link">本編は、『日本の廃道 vol.23』にて公開中です。</p>


<p align="center" class="next_link"><a href="http://www.the-orj.org/">『日本の廃道』へ</a></p>
</div>
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</div>


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<br><hr class="hr_long">
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</div>



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